
太平洋戦争中の昭和19年(1944年)3月16日20時30分頃、北海道東部の街 厚岸町沖60km(90Kmとの記録もある)の地点において、日本陸軍輸送艦 日連丸(2,800名乗船)と護衛艦 白雲(270名乗船)は米国潜水艦トートグ(タウトグ)による魚雷攻撃を受けて撃沈されました。
敗戦が色濃くなりつつあった当時、北方海域においても複数の輸送艦・護衛艦が撃沈されました。一億玉砕・戦闘継続を押し進める日本軍は士気低下を恐れ、地域住民には日本軍艦船撃沈の事実に緘口令がしかれ、それらの史実は数十年に渡り封印されることとなりました。
厚岸奉賛会では、日連丸・白雲の受難や千島列島など北方海域においても多くの命が散った史実を町内外多くの皆様に知っていただき、故郷の安寧を願いながら無念の死を遂げた皆様への慰霊と、恒久平和への思いを絶やさないことを目的にホームページ作成を行います。
日連丸白雲の受難当時の史実・経緯の詳細につきましては、既に他の皆様が作成された優れたホームページやYouTube動画及び著書等が存在しております。是非ともそちらをご覧いただくことの方が、重複を避けることとなろうと存じます。
このホームページでは、主に厚岸奉賛会のこれまでの活動と今後の活動予定などについて掲載し、ご遺族皆様が慰霊ご供養のために厚岸町にご来訪される際の一助になれるような内容として参りたいと思います。
昭和54年頃から、大戦当時連隊長であった佐久間鶴治中佐のご夫人とご長男 博信さんが佐久間中佐の戦死場所を探し求め、北海道を数度に渡り訪れた。
・昭和57年7月9日(1982年)
博信さんが釧路市役所にて、佐久間中佐が釧路沖で戦没した情報を得る。
・同年8月21日
釧路市役所などの調査により、厚岸町 正行寺に遺体収容されたことが判明した。
・昭和59年4月8日(1984年)
厚岸町 正行寺境内に「日連丸・白雲慰霊塔」が建立される。
⚪︎厚岸奉賛会設立(地元発起人 榊田春治氏 鈴木文男氏 伊藤政敏氏 埒見善雄氏)
・昭和63年4月「平和の碑」建立工事開始 8月完成
・同年8月26日「平和の碑」除幕式及び碑前祭
参加者〜ご遺族、菅原厚岸町長(当時)・鰐淵釧路市長(当時)代理ほか、80名
厚岸奉賛会会長 榊田春治氏の司会
碑前祭及び正行寺での法要 ※括弧内は参加人数
昭和59年8月(40名)
同61年3月(88名)
同62年8月(70名)
同63年8月(80名)
平成 3年7月(130名)
同 5年6月(140名)
同 8年6月(70名)
同10年6月(80名)
同13年6月(70名)※内18名初めて福島県からのご遺族並びに関係者参加
同20年6月(65名)
同26年6月(38名)
令和 元年6月(25名)
同 6年6月(15名)
令和6年4月をもって、厚岸奉賛会役員交代(会長 杉田尚美 事務局長 松井年仁 事務局 湯浅哲人)
参考文献
◆参加人数や天候等により、中止・延期になる場合があります。
◆最新の情報はSNSで確認してください。
| 団体名 | 日連丸白雲厚岸奉賛会 |
|---|---|
| 活動エリア | 厚岸町 |
| 加入人数 | 10人 |
| 代表者名 | 杉田尚美、松井年仁、湯浅哲人 |



